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[348]生き延びるための思想ージェンダー平等の罠

2011-08-19 (fri)|カテゴリー:コメント:0


とりあえず,3冊買ってきたフェミニズム関連本最後の一冊

フェミニズムといえば,とりあえず上野千鶴子 東大名誉教授だろうという

浅薄な考えから,ジュンク堂の本棚から,一冊買ってまいりました.

この論点は,軍やテロへの男女共同参画について.

多くのフェミニズムは基本的には反戦の立場を貫いてきたが,

男女共同参画ということになると

軍や自衛隊への男女共同参画という問題があらわれる.

そして,湾岸戦争時にアメリカは大いに戦地に女性兵を送り込んだ.

これはアメリカのフェミニズム団体の支援,要求のもとに起こった変化であるが,

日本のフェミニズム団体は大いに混乱したそうだ.

ジェンダーが社会構築的なものであり,社会制度における徹底的な性差の解消を求めるのがフェミニズムであるならば,男女共同参画の視点から考えて,何を躊躇する必要があるのか,私にとってはよくわからないが,

そこはなかなか同意できないらしい....

# 他の事の議論のコンテクストをみていると,ジェンダー論的に制度中に性差を持ち出した時点でアウトだとおもうのでが・・・・.

女性の戦争への男女共同参画という論点から,

家父長制の問題,従軍慰安婦問題などと,飛び火して

あさま山荘事件の話などになっていく.

上野千鶴子先生の文章は軽快で,たしかに存在感がある.

しかし,一方で,全二冊で感じていたフェミニズムの論理構成への違和感は,引き続き感じることになった.

フェミニズムが目的にしているのは,ある意味での基本的な人権の確保である.

これはある意味,戦争なのであろう.

文中にも 戦略や戦い といったような戦争のアナロジーの用語が知らず知らずのうちに

多用されている.

読んできた三冊を総合すると,

僕の批判はやはり

ジェンダー論のベースとなっている社会構築主義批判へ向かうのだろうか.

ソシュールの恣意性概念は多分に誤って解釈されているし,(と,僕は思う.)

実際にカテゴリ化の恣意性は「任意」という意味での恣意性ではない.

精神は身体から分離できず constructionism (構築主義)の意味ではなくconstructivism(構成主義)の意味で,構成される.記号概念もそれに続く(記号創発 symbol emergence).

そのあたりで議論できる人がいれば,一度議論はしてみたいものである.

ボトムアップな視点をもって議論するために参考図書二冊

どうフェミニズムと結びつくのかは,追加の説明なしにはむずかしいところですが.





[347]フェミニズム・ワードマップ

2011-08-19 (fri)|カテゴリー:コメント:1


図解雑学だと粗すぎると思われたので,

amazonで見ていて評価も高かったこちらを買ってみました.

フェミニズム ワードマップ.

いろいろなフェミニズムのトピックが載っている.

そして,おどろいたのは,非常に分派していること.

リベラルフェミニズム,ラディカルフェミニズム,ポストモダン・フェミニズム

マルクス主義フェミニズム,ポストコロニアル・フェミニズム,

レズヴィアン・フェミニズム.etc etc

また,男女差別という二項対立図式をベースにおいているためか,

非常に対決色が強い.

前述の図解雑学ジェンダーと つながる議論ではあるのだが,

フェミニズムの学問,いや言論活動は,「許せない差別」の認識がまず第一にある.

その次に,こうすべきという考え方がくる.

その次に「理論構成」をする,という手続きを踏むことが多いようである.

そして,理論構成をしてしまったら,新たな問題に対して,その理論構成では

自分が言いたい結論と違う結論がでては.「困った」となる.

また,理論構成も,他の人文の理論のキーワードを借用するスタイルが多く,

また,借りてくる論は自然科学ではなく,構造主義等のそれ自体が科学的論拠を持ちにくい

思想が多いので,議論のベースがどうも不安定である.

# 構造主義はそれ自体では,きわどいなかにも面白い論理構成があるのだが,

# その借用となると,どうも,本質の論点からずれることもあり,不安定...

しかし,どうも,読んでいると,「目的」がそこにはない,つまり「〇〇の解明」にあるのではなく

「男女差別の打破」にある.そういう意味では工学的なのかもしれないが,どうもそうでもないらしい.

工学だと,使えないものを研究してもかまわない.ちゃんと,その,使えない1プロセス

をデータで真なることを示せば価値がある.

ところが,どうも,そういうことも無いようだ.

傾向としても,政策への意見や,社会の中での言論に結びつけようとする活動的性質が

強すぎるがために,落ち着いた学術的議論を展開するのが難しいような印象を受けた.

このあたりは,応用のアウトプットを激しく求められる企業の工学者に近いのかもしれないが・・.

個人的なイメージとしては社会における男女差別の非平衡状態の軋轢の中でそれを解消せんがために

うまれている活動,それを現代思想的な議論として展開する活動,および男女差別の解消への言論全般が

フェミニズムなのだろうか,,,と感じた.

その解消が役割ならば,永続的な学問分野ではないのだろう.

この一冊でフェミニズムのことを分かった気になるなということもあるかもしれないが,

# 分かった気になったわけではなく,わからないことだらけだが・・・・

衝撃を受けたのは事実である.

理系の人間にとっては,構えて読まなければ,刺激が強すぎるかもしれない...

[346]図解雑学ジェンダー

2011-08-19 (fri)|カテゴリー:コメント:0


某IMさんとのメールのやりとりで 思い立ってこの夏休みに

ジェンダー思想に触れることにした.

# あと,2冊連続投稿するので,感想も一部まじっている分があります.

男女共同参画やもろもろの政策に対するフェミニズム系の論客の意見に

クビを傾げることがおおく,本当にジェンダー論やフェミニズム論の人たちは

何を考えているのだろう.

議論,論破するにも,相手の立場を知らねば,フェアでは無いということで,

手始めに読んでみました.

図解雑学というだけあって,わかりやすいと言えば分り易い.

しかし,ジェンダー論の論法はどうも.我々の作法とは違うような気がした.

基本的に,言いたいこと,結論が先にきまっていて,そこから論拠をバックキャストで

求めていく.そこに,ポスト構造主義とか,マルクス主義とか,社会構築主義が論を借りるものとして

あらわれてくる.

自然科学・工学・社会科学と様々な領域において,研究のロジックの組み方はわかっているつもりであるが,これらとはずいぶん違う面持ちである.

「これが学問なのか?」という過激な疑問は口にしないでおくが,論理の展開の仕方,モチベーションのどが,一般の自然科学・人文科学とは大いに異なるように見えるのだ.

男女差別の認識,その解消のための批判という 構造がありきとなっているように見える.

また,論理展開として

「全てが〇〇とは言えない,よって,△△は破綻している」

的な 論理を用いるところが散見された.(これは,他の書を読んでもその傾向が・・・)

印象としては,ルーマンのコミュニケーションにおける二値コード化で言えば

学問システムは「真/偽」の二値コードによって,成立するが,

ジェンダー論においては,そうではなく「男女差別/男女不差別」という二値コードによって

成立しているように見えた.

[345]市場・知識・自由ー自由主義の経済思想

2011-08-19 (fri)|カテゴリー:コメント:0


ハイエクは全集がでているが,

本書は 市場・知識・自由というテーマにそって

ハイエクの論文を8つほど訳している.

第一章で「真の個人主義と偽の個人主義」について

合理主義から始まり,全体主義へと向かってしまう偽の個人主義と

真の個人主義を歴史的な視点も持ちながら区別していく.

何に対する「自由」なのか?

自由や平等といったことばの意味が錯綜した状況.

それは,実際に今現在も地続きにつづいているのだが,

その違い,問題点をしっかりと語っている.

この第一章はぜひ多くの人に読んでいただきたい.(政治家や活動家,知識人のみなさんとくに)

第三章の競争の意味では,

経済学でいう完全競争の状況になくても競争は意味があることを述べている.

完全競争市場から離れているということが,独占企業を保護する理由にはならないのだ.

4,5,6では 主にオーストリア学派とイギリスの自由主義思想の先人についてふれる.

そして第7章は ケインズぶったぎり・・・・・.

経済学=ケインズ みたいに,素人でも名前をしっている学者であるが

そのケインズがこうも切られるのか・・ というのを読むのは面白いと思う.

↓参考 youtube





今,日本が危ないとおもう.というか,危ない方にころがっていこうとしている.何が危ないかというと,国家が大きくなっている.大企業が政治と結びついて固定化されてきている.

みな,未来を変えようとするときには 国家や政治に要求する,政治家がだめだという.そうじゃないんだ,未来を変えるのは起業家精神なのだ,アントレプレナーシップなのだ.そう,70年前からハイエクは言っているのだろう.

結構,赤線を引いた一冊.

しかし,ハイエクのようなボトムアップな思想がしっかりと理解を得て,政策とつながっていくのは,時間がかかることなのだろうとおもうし,われわれも努力をつづけなくてはならない..

[344]思考の整理学

2011-08-19 (fri)|カテゴリー:コメント:0


去年辺りからバカ売れした,一冊.

多分,売れかたからして,ビジネス書的読まれ方をしているのだとおもう.

個人的に,それほど,驚きの内容はなかったのだが,

外山先生の読みやすい文章で思考のまとめ方や,寝かし方など

ゆるい感じで書いてあって,いい雰囲気ではある.

ビジネス書ブーム以前に書かれたものなので,

今のビジネス書の「定理」「公式」的な書き方がされていなくて,逆に新鮮.

個人的には一番「へー」と思ったのは,卒論の書き方みたいな中で

文系的文脈の中で書かれていて,「やっぱり,ポイントが ちがうもんだなぁー」

と思ったりしたのでした.

[343]文章を書くこころ

2011-08-13 (sat)|カテゴリー:コメント:0

「思考の整理術」がバカ売れの外山滋比古先生の,日本語ライティングについてのお話.

日頃,科学技術論文(?)とやらの書き方を学生に指導することもありつつ,

自分でもいろいろ執筆は行っている人間として,参考になりました.

記事を書くことの難しさや,文一つとって,ここまで言うのか?

というのが新鮮でもあった.

僕自身は,比較的 論文の「はじめに」にこだわる ちょっと文系的理系研究室に育ったこともあり,論文で比較的「語る」くちだが,その語りについてのブラッシュアップはまだまだなのだなとおもった.

しかし,論文の場合,コラムとしての読みやすさが先にたってしまうと

どうも具合が良くないこともおおい.

そのあたりは,匙加減が必要であろう.

しかし,「長文はいかん」「装飾語はけずれ」的な学生が陥りがちな問題の共通項もあり,ラボのメンバーに読んでほしいなとおもったりもした.

はじめのほうに

「まず,人に読まれる文章をいっぱい書くべき」

とあるのだが,「なかなかそういう機会をもてない」と執筆当時の問題をしてきしていた.

だから,クラス雑誌のようなものをつくったりすべきだとあったが,

その点,現代は このようにブログなどがあり,私たちがオープンに文章を書ける機会は

非常に増えているようにおもう.

活字離れでならぬ,活字進化の時代に生きる僕達なのである.

[342]想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行

2011-08-10 (wed)|カテゴリー:コメント:0

これまた非常に有名な本なので,読んでいなかった事を

告白する感じですね.もぐりですみません.

 

さて,ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」

たしか,僕がこの本を買ったのは随分前なんですが,

儀式は何の役にたつか,の中で,新聞を毎朝よむことと,国家についての関係が論じられていた

ときに引用されていたようにおもう.(うろおぼえ)

 

国家なんて想像の産物だ!

 

って言ってしまったら,誤解,曲解を招いてしまうんであれなんですが,

本書は,ナショナリズムの期限について,活字文化との関係で議論を立てる.

 

書き言葉というと,あれなんですが,過去のローマ法王を中心とし,諸国がいろんな王を抱えていた

国家から,近代の国民国家にはいっていくプロセスには,不可分に活字が広まっていった事が原因としてあるというはなし.

 

書き言葉の主役だったラテン語から,いわゆる俗語としての英語やフランス語,ドイツ語などが,書き言葉の中に躍り出る

ことによって,民族単位で国家をつくる,国民国家の流れへと入っていったという話だ.

 

言語というシステムの上位からの制約が書き言葉という形で明確化されることにより,繰り返し明確な境界を求める

クラスタリングが行われ,国民国家を形成する.政治が何語を使うか,が民族と為政者の関係を作り上げる.

 

そして書き言葉としての俗語を広めていった裏には,メディア,印刷会社の資本主義がある.という・・・

 

ベネディクト・アンダーソンはこのモデルを アメリカや日本などに当てはめようとするが,ぱっとはうまくはまらない..

筆者は それは,ある種の修正で乗り越えられるような,感じで言うが,

 

やはり,たとえば日本へ当てはめる場合は,少し無理があるように思った.

# もちろん僕が勉強不足だという可能性は十二分にあるが.

日本の明治以降のプロセスをヨーロッパの近代化の文脈で捉えると,そういう解釈も可能かもしれないが,

やはり,ヨーロッパに於ける共通的な近代化プロセスとしておいておいたほうが,精度は高いと思う.

 

もちろん,書き言葉が国家という想像の共同体を支えているという観念はagreeだし,

そのような印刷技術の確信が,IT,とくにソーシャルネットワーク等で起きている現在,

国家像が50年から100年レベルで変動していくことは,あると思う.

 

facebookキッカケなどで 世界各地で動乱が起きている.

陰謀説ではまったくないが,記号を運ぶ装置がかわれば,記号系によるトップダウンな制約がかわり

我々の行動も変化する.

 

知っていたからって止められるたぐいのダイナミクスではないかもしれないが,読んでおけばいい一冊だろうとおもいます.

 

また,つれづれにめもがわりに・・・

[341]生命壱号 おそろしく単純な生命モデル

2011-08-10 (wed)|カテゴリー:コメント:0

 

あまり郡司ペギオ先生の本は読んだことがなかった.

複雑系の構成論的研究でいえば,かなり先輩格に当たる先生だろう.

 

本の内容についても,記号接地問題ふれたり,オートポイエーシスの話,セル・オートマトンの

話などつらなっていく.

 

さて,分厚さの割には,トピックは一気通貫でございまして,

「生命壱号」と筆者の呼ぶモデルにより表現されうる生命のダイナミクスについて述べていく.

 

生命壱号はセル・オートマトンのようなモデルであり,ある見方をすると粘菌のモデルのように捉えられる.

粘菌の構成論的モデルは意外とイロイロございまして,これ以外に私の知る限りでも,国内だけで幾つかの

独立したモデルがあるように思う.

 

さて,途中から集合論,束論な話がはいってきて,なかなか読者を振り切る感じがアレなんですが,

どうも,「わかりやすく説明しよう」というノリはあまり無いように思う.

および接地点が哲学的な接地点に向かおうとしてるようで,

最終的には本書自体がちょっとわかりにくくなってしまっているようにも思えた.

 

また,初めから最後を通して,「タイプとトークンの両義性」という,キーワードが出続けているのだが,

これもちょっとわからなかった・・・.

 

複雑系,人工生命からの構成論的アプローチについて学びだし,入門書を読み終えた人が,

具体的な,そこからの研究展開の一例として,呼んでいくには,一つのガツっとした内容だと思う.

 

哲学と構成論の間の微妙な関係に,久しぶりに悩んだかもしれない.

340「ベッキー・クルーエルde英語耳 友だちとの会話編」

2011-08-02  (tue)|カテゴリー:コメント:0

そう!

この本の魅力は,英語の本を買うふりして,ベッキーのファンDVDを買えるってかんじです!

 

いや,ほんとそう.

なんとなく,勢いで何冊か英語の勉強本買うときに勢いとノリで買ったんだけど.

 

基本的にはDVDとそのDVDの中の会話のスキットが入ってる.

スキットでは,ともだち レベッカ(こっちも可愛いイギリスのアイドル)と二人でおしゃべりする内容.

 

そのビデオのシーンは文法の勉強どうこうとかさておいて

「ベッキー.かわいい~.ほえぇ~」

と,ならしめる作りになっている.(主観)

 

でも,ま,生声の英語を聞き取りたいって言う意思を持つことはスキルアップ上重要であり,

そいういういみでは,可愛い子にビジュアルごと喋らせて聞くっていうのは,おおいにアリなのかもしれないです.

 

はい.

ベッキー・クルーエルかわいいぃ~♪

って言う人は,買っといたらエエんちゃいますか?(なげやり.)

389「隷属への道 ハイエク全集 I-別巻」

2011-07-31 (sun)|カテゴリー:コメント:0

僕の思考の中のいらだちを,見事に言語化してくれていた.

1940年そこらで,ここまでハッキリと言い切っていたのはすごいと思う.

 

ヒトラーのナチス・ドイツの全体主義と社会主義は同じ構造をもっている.

集産主義は自由を奪い,世の中を後退させる.

 

ハイエクは,自由と市場のなかに,情報処理としての機能を既に早くから

よみとっていたように思う.

自律分散システムが,中央集権的計画システムよりなぜ良いか,

その,数理的答えは まだ十分でないように思う.

# 経済学の中で一部答えはえられているが,十分ではないかと.

 

経済問題は経済問題として独立しえず,人権や政治の問題と,関わる.

計画経済の中において自由など存在しない.

 

そういうことをこの時代に指摘していたのは,素晴らしいと思う.

 

教育の場においても,研究の国家戦略においても,エネルギーにおいても,

やはり,社会主義的計画性をよしとするかのような向きがある.

 

自由と所有を保証された上での利己的行動の上でこそシステムは良くなる.

これは,人間の自律適応性を所与の条件とした上での普遍的な議論であり,

 

この原理を僕らはより明確にとらえ,より一人ひとりがいきいきした

社会,組織を作っていく必要があるようにおもう.

 

また,多くの「知識人」の中に,社会主義的計画経済への思考が潜んでいることも指摘してる.

まったくもって,同感である.

 

 

その,裏には,記号創発システム的なものとの接合部もあるように思った.

ピアジェ,パース,ハイエク と,僕の中での線がつながる日も来るかもしれない.

 

あんまり,いろいろ気づきがあったので,書ききれませんが,そういうことです.

 

全集の他のんも読んでみます.いろいろ.

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