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[342]想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行

2011-08-10 (wed)|カテゴリー:

これまた非常に有名な本なので,読んでいなかった事を

告白する感じですね.もぐりですみません.

 

さて,ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」

たしか,僕がこの本を買ったのは随分前なんですが,

儀式は何の役にたつか,の中で,新聞を毎朝よむことと,国家についての関係が論じられていた

ときに引用されていたようにおもう.(うろおぼえ)

 

国家なんて想像の産物だ!

 

って言ってしまったら,誤解,曲解を招いてしまうんであれなんですが,

本書は,ナショナリズムの期限について,活字文化との関係で議論を立てる.

 

書き言葉というと,あれなんですが,過去のローマ法王を中心とし,諸国がいろんな王を抱えていた

国家から,近代の国民国家にはいっていくプロセスには,不可分に活字が広まっていった事が原因としてあるというはなし.

 

書き言葉の主役だったラテン語から,いわゆる俗語としての英語やフランス語,ドイツ語などが,書き言葉の中に躍り出る

ことによって,民族単位で国家をつくる,国民国家の流れへと入っていったという話だ.

 

言語というシステムの上位からの制約が書き言葉という形で明確化されることにより,繰り返し明確な境界を求める

クラスタリングが行われ,国民国家を形成する.政治が何語を使うか,が民族と為政者の関係を作り上げる.

 

そして書き言葉としての俗語を広めていった裏には,メディア,印刷会社の資本主義がある.という・・・

 

ベネディクト・アンダーソンはこのモデルを アメリカや日本などに当てはめようとするが,ぱっとはうまくはまらない..

筆者は それは,ある種の修正で乗り越えられるような,感じで言うが,

 

やはり,たとえば日本へ当てはめる場合は,少し無理があるように思った.

# もちろん僕が勉強不足だという可能性は十二分にあるが.

日本の明治以降のプロセスをヨーロッパの近代化の文脈で捉えると,そういう解釈も可能かもしれないが,

やはり,ヨーロッパに於ける共通的な近代化プロセスとしておいておいたほうが,精度は高いと思う.

 

もちろん,書き言葉が国家という想像の共同体を支えているという観念はagreeだし,

そのような印刷技術の確信が,IT,とくにソーシャルネットワーク等で起きている現在,

国家像が50年から100年レベルで変動していくことは,あると思う.

 

facebookキッカケなどで 世界各地で動乱が起きている.

陰謀説ではまったくないが,記号を運ぶ装置がかわれば,記号系によるトップダウンな制約がかわり

我々の行動も変化する.

 

知っていたからって止められるたぐいのダイナミクスではないかもしれないが,読んでおけばいい一冊だろうとおもいます.

 

また,つれづれにめもがわりに・・・

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